「ホテルでの母との向き合い方」
いろいろありながらも、私たちは今日宿泊するホテル、ザ・グランリゾート三方五湖に到着した。
ゴールデンウィーク中にも関わらず、こじんまりとした館内はとても静かで、ほとんど他のお客さんの姿も見当たらない。宿泊する部屋は、予約時にお願いしていた通り、フロントから一番近い場所にしっかりと用意されていた。認知機能が低下している母の足取りを考えると、この配慮は本当にありがたかった。
部屋の畳スペースに寝転がってゴロゴロしたり、雨に煙る三方五湖をベランダから眺めたりしながら、私たちは久しぶりに訪れた家族の時間をゆっくりと味わっていた。
母は相変わらず、「何をしに来ているんだっけ?」「今日ここに泊まるの?」と、10分前の出来事をきれいに忘れては、何度も同じ質問を繰り返していた。
けれど、私たちはそれを想定の範囲内として受け止めていた。前後の記憶がパッと消えてしまっても構わない。ただ、「今ここで、ホテルのベッドに横になって心地よく過ごしている」というその一瞬一瞬を、母がその都度、肌で実感してくれていればそれでいい。私たちはあえて母の記憶を厳しく訂正することはせず、「そうだよ、ここに泊まるんだよ」と、母の流れる時間にそっと寄り添うように返事を返していた。
お部屋に用意されていた良さげな浴衣を見つけると、「着替えたい」と母が嬉しそうに言った。
一日中着ていた上着(羽織)を脱いでもらったその瞬間、妻が「あっ!」と驚いた声をあげた。
「何も着てないよ」
なんと、羽織の下には直接下着しか着ていなかったのだ。つまり、今日一日の移動中、母はずっとその状態だったことになる。よくぞここまで誰も気づかなかったものだと、家族みんなで顔を見合わせて大笑いしてしまった。
誰の迷惑になるわけでもない、誰も傷つかないハプニング。私たち家族3人は、それが分かっているからこそ、焦る代わりに「最高の笑い話ができたね」と、そのおかしな状況をただただ面白がることができた。
その後、母は念願の浴衣に着替えた。…かと思えば、すぐにまた洋服に戻り、しばらくすると「やっぱりまた着たい」と浴衣に袖を通す。そんな不思議な「衣装替え」を何度も何度も繰り返していた。
はたから見れば、短期記憶がないゆえの困った行動に見えるかもしれない。けれど、私の目には違って映っていた。母にとっては、着替えるたびに「旅行に来て浴衣を着る」という非日常のウキウキ感を、毎回新鮮に、初めての喜びとして味わっているのだ。
記憶が残らないということは、楽しさの賞味期限が切れないということでもある。そう捉えれば、母にとってこれは間違いなく、その都度新しく生まれる「貴重で大切な瞬間」の連続だった。
夕食の前に、温泉大浴場へ行くことになった。
男湯に向かった私は、ほぼ独占状態の広々とした露天風呂やサウナを思いきり満喫し、心身ともにリフレッシュして部屋に戻った。
しかし、部屋に戻って妻の話を聞いた瞬間、私は自分自身が急に恥ずかしくなった。
母を連れて女子湯に行ってくれた妻と子供の温泉タイムは、案の定、壮絶な大変さだったようだ。服の脱ぎ着からお風呂の入り方まで、母からの止まらない質問攻めに一つ一つ指示を出し、付きっきりで対応していた妻は、ゆっくりお湯に浸かる暇さえなかったという。
今回の旅は、母の対応の大変さを最初から覚悟の上で臨んだ旅行だった。それなのに、自分だけがのんきに温泉を満喫していた現実が申し訳なかった。そして何より、そんな過酷な状況でも、さすが介護のプロ(仕事)の意地と優しさと言うべきか、一言も文句を言わずに母を一生懸命お風呂に入れてくれた妻には、言葉にできないほどの感謝と尊敬の念が湧き上がった。
私の代わりに母を温かい温泉に入れてくれた妻の背中に、心の中で深く、深く頭を下げた。
その後移動した夕食の食堂では、海鮮を中心とした豪華なコース料理が私たちを迎えてくれた。
お皿が運ばれてくるたびに、母は「これきれいだね」「これどうやって食べるの?」と、1つ1つの料理に少女のような新鮮な感想を漏らしながら、本当に美味しそうに食べていた。
部屋に戻ると、畳の上にはふかふかの布団がすでに敷かれていた。
明日は三方五湖周辺で、アドベンチャークルーズや展望台を巡る予定だ。
母の記憶からは、今日のホテルの思い出は消えてしまうかもしれない。それでも、下着事件でみんなで大笑いした空気や、浴衣を着たときのウキウキ感、美味しい料理を食べたときの幸福感といった「感情の余韻」は、母の胸の奥に心地よい温かさとして確かに残っているはずだ。
明日はいったい、どんな新鮮なハプニングが待っているだろうか。私たちは温かい余韻に包まれながら、早めの就寝についた。



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